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福井地方裁判所 昭和26年(行)4号 判決 1956年4月19日

原告 尾崎邦夫

被告 福井県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「福井県大野郡上穴馬村農業委員会が別紙目録表示の農地につき昭和二六年九月一〇日に定めた農地買収計画を取り消す。福井県農業委員会が右農地買収計画に対する原告の訴願につき同年一〇月二九日になした訴願棄却の裁決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、

「(一) 別紙目録表示の農地二三筆(以下本件農地と呼ぶ。)は原告の所有していたものであるが、福井県大野郡上穴馬村農業委員会(以下村農委と略称する。)は、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する。)第六条の二第三条第一項第二号に則り、昭和二六年八月三一日訴外宮沢初二、永屋由松、山本島三郎、佐藤乙之助、佐藤助二郎、古川政夫よりなされた遡及買収の請求に基き、同年九月一〇日、これを原告から遡及買収する旨の農地買収計画(以下本件計画と略称する。)を定めて公告した。

(二) 原告は本件計画に不服であつたから、同月一九日、村農委に対し異議を申立てたが、同月二五日、同村農委は理由なしとしてこれを棄却したので、原告は更にこれを不服として同年一〇月二〇日、福井県農業委員会(以下県農委と略称する。)に訴願を提起したところ、同県農委もまた同月二九日、本件計画は適法であつて訴願は理由がないものとしてこれを棄却する裁決(以下本件裁決と略称する。)をなし、原告は同年一一月四日その裁決書の送達を受けた。

けれども、本件計画にはつぎのとおり違法があり、また、それ故これを適法として原告の右訴願を棄却した本件裁決もまた違法である。すなわち、

(1)  村農委は、その縦覧期間を昭和二六年九月一〇日より九月二〇日まで(毎日午前八時より午後五時まで、但し日曜日を除く。)と定めて、本件計画を縦覧に供したが、右期間は、計算上初日を算入しない上に日曜日に当る同月一六日を除く旨公告されたので九日間となるにすぎないから、右計画は自創法第六条第五項所定の一〇日間縦覧に供せられたものとはいえず、それ故右計画には縦覧期間不足の違法がある。

(2)  また前記宮沢初二等六名の耕作者は、すでに昭和二二年八月二〇日、本件農地につき村農委に対し遡及買収の請求をなし、同村農委は一旦同年一一月五日農地買収計画を定めたけれども、原告がこれに対し異議を申立てたので右異議を容れ、昭和二五年六月一九日右買収計画を取り消しその旨告示した。しかるに、右耕作者等は右告示後自創法第六条の三第一項所定の一ケ月間内に県農委に対し、村農委に対する遡及買収樹立方の指示を請求しなかつたから、右耕作者等は本件農地につき遡及買収請求権を抛棄したものであつて、従つて、その後再び原告所有の農地につき遡及買収を請求することは許されないのにかかわらず、村農委が右耕作者等からの前記日時になされた重ねての遡及買収請求に基いて定めた本件遡及買収計画は違法である。

(3)  仮に右(1)(2)の主張が認められないとしても、

(イ)  前記宮沢初二等六名の耕作者は、昭和二〇年一一月二三日以後において本件農地(但し別紙目録中番号一五番の農地を除く。)に就いての耕作の業務をやめたものではない。すなわち、昭和二二年三月中原告と右耕作者六名との間で、原告所有のいわゆる刈分地全部一町二畝二一歩について従来耕作者六名が行つてきたいわゆる刈分耕作をすべてやめ右刈分地のうち、約四割に当る四反五畝六歩を地主たる原告の自作地とし、約六割に当る五反七畝一五歩(本件農地)を耕作者六名の小作地とする旨の合意ができ、その頃から右合意のとおり耕作型態及び耕作者の変更がなされたのであるが、本件計画によつて遡及買収された右五反七畝一五歩の農地(但し、そのうち別紙目録番号一五番の農地を除く。)については、右耕作者六名は、それぞれ従来耕作してきた農地につき刈分耕作をやめて小作をするようになつただけで、耕作の業務それ自体はこれを継続していたのである。従つて、右耕作者六名が右日時以降において本件農地につき耕作の業務をやめたものとして同法第六条の二、第三条第一項第二号により本件農地を買収する旨を定めた本件計画は違法である。

(ロ)  本件農地の昭和二〇年一一月二三日当時の耕作型態は、刈分耕作と呼ばれるものであつて、刈分耕作が行われている刈分地は小作地ではなく、自作地若しくは地主と作人(刈分耕作者のこと、以下同じ。)とが互に出資してなす共同耕作地と認められるべきものである。詳言すれば、刈分耕作は、俗に奥越地方と呼ばれている福井県大野郡穴馬方面の山間部落において古くから慣行されてきた耕作型態であつて、この型態においては、当初作人は、農奴同様待遇せられ、地主において農機具、耕作馬等を使用せしめ、種子肥料を供し、作人をして耕作の業務に服さしめ、刈り上げたる稲の二分の一を与えていた。そして時代が進むにつれて右農機具等の供与はしなくなつたが、しかし、現在でも地主は、潅漑用排水施設の修理等の作業には自ら出動してその費用の八割を負担し、また必要量の種子及び緑肥を作人に給与しており、一方、作人は、耕作植付、除草、刈上等の労務に服してはいるが、裏作をするには地主の許可を受けねばならず、地主と作人とは、その収穫を折半する慣行になつており、供出制度が定められてからは地主、作人とも供出米の割当を受けているのである。それ故、刈分耕作における地主と作人との関係は小作関係といわれるべきものでなく、雇用関係と目されるべきものであり、本件刈分地を小作地ということはできない。従つて、本件農地を小作地として自創法第六条の二、第三条第一項第二号により買収する旨を定めた本件計画は違法である

(4)  仮に本件農地が小作地であつたとしても、

(イ)  自創法第六条の二の規定は、昭和二〇年一一月二三日以後における地主の買収回避工作から小作人を救済せんとする規定であると解すべきところ、前記(3)(イ)に述べた地主と耕作者六名間の耕作型態及び耕作者の変更の合意は買収回避工作としてではなく適法且つ正当に行われたのであるから、同条によつて遡及買収計画を定めることは違法である。

(ロ)  また、昭和二二年三月頃行われた前記(3)(イ)に述べた耕作型態及び耕作者の変更については平穏且つ円満裡に合意がなされたのにかかわらず、右耕作者六名はその後三度にも亘つて、合意に基く右変更を目して原告が農地を不当に取上げるものであると主張して遡及買収の請求を繰り返し、なお右耕作者等は昭和二二年度より全く小作料を支払つていない。従つて、前記耕作者六名の遡及買収の請求は信義に反するから、本件農地は同法第六条の二第二項第二号に当る小作地としての買収から除外さるべきものであつて、これを遡及買収する旨を定めた本件計画は違法である。

以上いずれの点からみても本件農地買収計画は違法であり、従つて、これを適法として原告の訴願を棄却した裁決もまた違法であるから、右計画及び右裁決の各取消を求めるため、本訴請求に及んだ。」

と述べた。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁及び主張として、

「原告主張事実のうち、原告主張の(一)、(二)の事実、及び村農委が本件農地買収計画の縦覧期間を昭和二六年九月一〇日から同月二〇日までと定め、右期間中右計画を縦覧に供したこと、昭和二二年三月中、原告と原告主張の耕作者六名との間に、原告主張のような合意がなされ、その主張のように耕作型態及び耕作者の変更がなされたこと、右耕作者六名が三回に亘つて遡及買収の請求をしたことは認めるが、その他の事実はすべて争う。

本件農地買収計画は、自創法第六条の二、第三条第一項第二号に基く農地遡及買収計画であつて、これはつぎのとおりその要件を備えた適法なものである。すなわち、

(一)  原告と右耕作者六名の間では従来刈分耕作の一般慣行に従い、原告所有の刈分地全部につき、収穫物の六割を耕作者の所得、その四割を地主たる原告の所得として収穫物を分収していたが、農地調整法の改正により小作料の物納が禁止されることとなつたため、右耕作者から小作料の金納方を申し入れたところ、原告は、かくては到底生計を維持し得ないという理由で、昭和二二年三月頃、右耕作者六名を含む原告方の耕作者等を参集せしめ、一方的に交換分合と称し、右耕作者六名に対し従来の刈分分収の割合によつて刈分地を分割することとし、その約四割に相当する四反五畝六歩(この農地についても、右耕作者六名はいずれも従前から耕作の業務を行つていた)を原告の自作地となし、これを買収より除外させることができるときは、残約六割に当る農地については買収売渡に同意する、と申入れ、右耕作者等は原告の立場をも考慮し、やむを得ずその申出に従い刈分地全部を一旦原告に返還した上、その約四割を原告の自作に移し、残六割を小作として従来の耕作者に再配分したのである。

然るに原告は右刈分地の約四割を自作に移すと、残約六割の農地についても買収を免れんことを企図し、刈分地は小作地に非ずと主張して、右買収にすら反対するに至つたので、右耕作者六名は村農委に対し遡及買収の申請をなし、村農委において過去三回(但し、そのうち一回は原告所有の畑についての買収計画である)に亘つて買収計画を樹立したが、原告はその都度これらに異議若くは訴願をなし、そのためこれらはいずれも手続違背等により取り消されるに至つたもので、本件計画は第四回目の周到なる手続上の注意をもつて定められたものである。

右の通り昭和二二年三月頃、原告は刈分耕作地の約四割を従来の耕作者たる前記耕作者六名から奪つて原告単独の自作に移し、その結果、右耕作者六名は少くとも右四割の農地についてはいずれも従来からの耕作の業務をやめたものといえるから、遡及買収を請求する資格を有し、従つて、同人等からの遡及買収の請求に基き定められた本件計画は適法である。また、右遡及買収の請求は信義に反するものでもないから、村農委がこれを信義に反すると認めなかつたことは当然である。

(二)  また本件農地は昭和二〇年一一月二三日当時は小作地であつた。詳言すれば、刈分耕作なる制度は農地に対する小作制度の濫しようであり、刈分耕作は原始的な小作型態であつて、かゝる耕作型態が本件農地をはじめ奥越地方の農地について戦後まで存続していたのであるところで、その本質はあくまで小作と解すべきものであり、耕作者は耕作地を使用収益する対価として、その収穫の四割を、地主に納入していたのであるから、右耕作地を、耕作料を支払つて農地の使用収益をする小作地と解するに何等の妨もなく、これを自創法第二条第二項にいう小作地として、農地改革のため同法に基く買収の対象とすることはまことに当然のことである。」

と述べた。

(立証省略)

理由

村農委が、原告所有の本件農地を、自創法第六条の二、第三条第一項第二号に則り、原告の主張する宮沢初二等六名の耕作者が昭和二六年八月三一日なした遡及買収の請求に基き、同年九月一〇日、本件計画を定めたこと及び同計画に対する異議、訴願に関する原告の主張事実はすべて当事者間に争がない。

(一)  そこで縦覧期間不足の原告の主張について考える。成立に争のない甲第八号証、証人池田庄次郎の証言並に本件弁論の全趣旨を綜合すると、村農委は、本件計画の縦覧期間を「自九月一〇日至九月二〇日(毎日午前八時より午後五時迄、但し日曜日を除く。)」と定め、上農告示第七号をもつて同月一〇日これを告示したことが認められる。右告示によると、右期間中の日曜日に当る同月一六日は縦覧日から除かれたものと解するほかなくまた昭和二二年三月二八日農林省告示第二五号に定めるように初日は右期間に算入すべきものでないから、村農委は、右計画の縦覧期間を九日と定め、その期間中これを縦覧に供したこととなり、それ故、原告主張のように、縦覧期間として法定の一〇日の期間をおかなかつたことが判るが、自創法第六条第五項の縦覧期間についての規定の趣旨は、農地買収計画の内容を利害関係人に知らしめ殊に農地の所有者の異議申立の機会を保障するところにあるといえるから、本件のように農地の所有者である原告がすでに同月一九日本件計画に対して異議を申し立て、村農委においてこれに対し実体的審査をなした以上は、原告において今更前示期間の不足を理由として本件計画の違法を主張することは許されない。

(二)  つぎに前記宮沢初二等六名の耕作者は遡及買収請求権を抛棄したとの原告の主張について考える。村農委が昭和二五年六月一九日、本件農地についての従前の農地買収計画を取り消してその旨告示し、右耕作者等は、その後一ケ月以内に県農委に対し村農委に対する遡及買収樹立方の指示を請求しなかつたことは被告の明らかに争わないところであり、右耕作者等が昭和二六年八月三一日に至つて村農委に対し本件遡及買収を請求し、これに基き本件計画が定められたことは、被告の争わないところである。しかし、自創法第六条の三所定の遡及買収指示請求の期間に関する規定は、急速に自作農を創設し耕作者の地位を安定さす必要から、市町村委員会のなす農地買収計画の樹立が遅延することを防止せんとする趣旨の規定であつて、右期間経過後はもはや県農委に対する指示請求または村農委に対する遡及買収の請求ができなくなるという意味の能力規定ではないから、右期間内に県農委に指示請求をしなかつたからといつて、そのごになされた村農委に対する遡及買収の請求がそれだけの理由で違法になるいわれはなく、それ故右耕作者等が遡及買収請求権を抛棄したとみるのは余りにも軽卒な判断であるとの謗を免れない。従つて、昭和二六年八月三一日なされた右耕作者等の遡及買収の請求に基き本件計画を定めても何等の違法はなく、原告の右主張は理由がない。

(三)  つぎに右耕作者六名が耕作の業務をやめたものではないとの原告の主張について考える。昭和二二年三月頃原告と右耕作者六名との間で、原告所有のいわゆる刈分地全部一町二畝二一歩について従来右耕作者等が行つてきたいわゆる刈分耕作をすべてやめ、右刈分地のうち、約四割に当る四反五畝六歩を地主たる原告の自作地とし、約六割に当る五反七畝一五歩を右耕作者六名の小作地とする旨の合意ができ、その頃から右合意のとおり耕作型態及び耕作者の変更がなされたこと、本件農地が右の約六割に当る五反七畝一五歩であることは、当事者間に争がない。そして、証人佐藤助二郎、宮沢初二、永屋由松、山本島三郎、佐藤乙之助、古川政夫の各証言及び原告本人訊問の各結果によれば、右耕作者六名は、いずれも原告の自作に移した刈分地四反五畝六歩のうちの一部づつの農地につき、従来、いわゆる原告方作人として耕作の業務を営んでいたものであることが認められるから、右原告の自作地とした約四割の農地につき同人等は耕作の業務をやめたものに当り、従つて、本件において同人等を耕作の業務をやめたものと認めるに何の妨もなく、原告の右主張は理由がない。

(四)  つぎに本件農地が小作地でなかつたから本件計画は違法であるとの原告の主張について考える。

証人荒井重義、佐藤助二郎、宮沢初二、高井繹計、高井治、佐藤助夫、古川信男、古川政夫、山本島三郎、佐藤乙之助、永屋由松、杉本寿、蓮川文朔、石神慶之助の各証言及び原告本人訊問の各結果を綜合すると、本件農地の基準時当時の耕作型態は、福井県大野郡穴馬方面の山間部落の田について古くから慣行されてきた刈分耕作と呼ばれているものであつて、この耕作型態においては、地主は刈分地について耕作の労務を行わず、作人と呼ばれるもの(以下作人と称する。)が実際にこれを行つているのであるが、地主は、その土地の公租公課を負担し、必要な種子及び肥料を作人に支給し、脱穀機等を提供し、右土地の潅漑用排水施設の修理等の費用の七、八割を負担する一方、作人は、地主から全く独立しては右土地を利用することができず、地主の指示する日程に基いて耕作、除草等の労務に服し、且つ、地主と作人とは予め定まつている割合でその土地からの総収穫物たる稲の総量を分割取得することになつており(従つて作人は地主に対して予め定められた一定の小作料を支払うのではない)供出制度が定められてからは地主、作人とも供出の割当を受けていた。そして、本件農地についての収穫物の分割の割合は、この方面の他の刈分地におけると同様に、従来五割、五割の割合であつたが、昭和一七、八年頃、地主たる原告は四割、作人たる前記耕作者等は六割の割合に改められたことを認めることができ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

右認定事実よりすれば、刈分耕作なるものは、農業経営における地主の直接経営から小作への第一歩を踏みだした耕作型態たるにすぎず、作人は刈分地の利用につき地主に対し従属的地位にあつて、未だ刈分地を自由に利用しえず、従つて、かゝる耕作型態における農業経営の主体は未だむしろ地主にあると解すべきであり、また、地主が収穫物として取得する四割ないし五割の収穫物は作人が刈分地を使用収益することの対価として地主に納める小作料であるとみるわけにはいかず、それ故、刈分地は自創法第二条第二号所定の小作地といえず、作人を小作農ということもできない。しかし、また、前記認定事実よりすれば、地主と作人との関係は、請負ないし雇用に類する無名の身分的な契約関係と考うべきものであり、且つ刈分地につき実際に耕作の業務を営んでいるものは作人であつて地主ではないのであるから、刈分地は、自創法第三条第五項第二号所定の自作地に当ると解すべきものである。ところで同法第六条の二によつて遡及買収する場合に、同法第三条第五項第二号に規定する自作地につき、請負その他の契約に基いて耕作の業務を営んでいた者で基準時以後当該自作地に就いての耕作の業務をやめたものは、これを小作農とみなし当該自作地は、これを小作地とみなすべきことは同法第六条の四の明定するところであり、且つ本件農地買収計画が同法第六条の二、第三条第一項第二号によつて定められたことは当事者間に争がないのであるから、村農委が右法条によつて本件計画を定めるにあたり、作人たる前記耕作者六名を小作農とみなし、本件農地を小作地とみなすべきことは当然であつて、この点につきなんの違法はない。従つて、本件農地が小作地でなかつたから、本件計画が違法であるとの原告の主張もまた理由がない。

(五)  つぎに昭和二二年三月頃原告と前記耕作者六名の間でなされた合意は適法且つ正当になされたのであるから同法第六条の二によつて遡及買収計画を定めることは違法であるとの原告の主張について考える。昭和二二年三月頃原告と右耕作者六名との間でなされた合意は前記(三)に説示したとおりであり、刈分地が小作地でないことは前記(四)に説示したとおりであるから、刈分地を自作地及び小作地とする旨の右合意が、農地の「賃貸借」の解除若しくは解約の合意に当らないことは明らかであり、従つて、右合意が適法且つ正当になされたか否かを判断するまでもなく、本件において、同法第六条の二第二項第一号による遡及買収より除外すべき農地はない筋合であり、それ故、原告の右主張は理由がない。

(六)  つぎに右耕作者六名の遡及買収の請求が信義に反するとの原告の主張について考える。

成立に争のない甲第一ないし第七号証、第九号証の二、五、乙第二号証、及び前記(四)に掲げた各証拠並びに原告本人訊問の各結果によつて真正に成立したことを認めうる甲第九号証の一、三、証人石神慶之助の証言によつて真正に成立したことを認めうる甲第九号証の七を綜合すると、原告は従来、刈分地(すべて田である)約一町二畝二一歩、小作地(すべて畑である)約六反七畝一一歩、自作地(但し刈分地を含まない。田及び畑である。)約五反四畝一七歩を所有し、右刈分地全部につき前記宮沢初二等六名の耕作者及び訴外荒井重義がその一部づつを耕作し、右刈分地における収穫物分割の割合は、前述のとおり昭和一七、八年頃から地主四割、耕作者たる作人六割であつたが、農地調整法の改正(昭和二〇年法律第六四号)によつて小作料の物納が禁止されたので、従来収穫物たる稲の四割を得て生活していた原告は、金納によると配給米を貫わねばならぬ等生活上困ることになるから、右刈分地のうち約四割に当る四反五畝六歩を原告の自作地とし、約六割に当る五反七畝一五歩を金納による右耕作者六名の小作地とすることに同意してくれるよう同人等に申し入れ、昭和二二年三月頃、原告と右耕作者六名の間に、右耕作者等は原告の立場を考慮し、右申入を受け入れる、一方原告は、自創法によつて、刈分から小作に移した右小作地が買収されることについて同意をする、との合意ができ、その頃から右合意のとおり右刈分地につき耕作型態及び耕作者の変更がなされたこと、その後原告において、右小作地の買収について同意する旨の合意を尊重しなかつたので、右耕作者六名は原告所有の農地について昭和二二年八月二〇日村農委に対し遡及買収の請求をなし、村農委は昭和二二年一〇月頃右小作地につき農地買収計画を定めたが、その後これを取り消し、その後村農委は昭和二五年五月頃再び右小作地について農地買収計画を定めたが、村農委は原告の異議に基き、その縦覧期間不足のかしを理由として同年六月一九日これも取り消したこと、そこで右耕作者六名は前記合意のとおり右小作地の売渡を受けるため、三度昭和二六年八月三一日村農委に対し原告所有の農地につき遡及買収の請求をなし、これに基き本件農地を遡及買収する旨の本件計画が定められるに至つたこと、なを右耕作者六名は、本件計画によつて買収されるまでの右小作地の小作料を、同人等が右小作地を小作していた当時、原告に対し現実に提供したがその受領を拒まれたのでいずれもこれを供託したことを認めることができ、原告本人訊問の結果中右認定に反する部分は措信し難く他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実からすれば右耕作者六名が数度の遡及買収の請求をなしたことをもつて信義に反するということはできず、また同人等には小作料の不払もなく、その他本件における遡及買収の請求が信義に反すると考えられる点がないから、村農委が右請求を信義に反すると認めなかつたことは正当である。従つて、原告の右主張もまた理由がない。

以上の次第で、本件農地買収計画及びこれを適法として原告の訴願を棄却した県農委の本件裁決はともに適法であつて、これらを違法であるとする原告の主張はいずれもその理由がない。

よつて本件計画及び裁決の各取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 神谷敏夫 市原忠厚 海老塚和衛)

(目録記載)

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